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 「来年の胎動の予感」その2

12月7日 鹿砦社・松岡代表 控訴審裁判傍聴の報告

2006年 12月 16日

塩見孝也



 12月7日、大阪高裁で持たれる鹿砦社の松岡利康代表の控訴審裁判は、午前10:30からである。大阪高裁は御堂筋線淀屋橋駅で降りて、10分ぐらいの所にあります。

 僕は、この公判を傍聴し、8日は、関西の友人諸氏に会い、9日(土)、関西ブント系の研究フォーラム「共産主義年史研究会」に参加して、何とか午後10時前に帰京しました。

 旅費は、本を売ったり、若干のカンパや自費負担で何とか賄いました。

 夜行バスで、行く予定でしたが、既に予約が入っていたのでした。

 僕は、この、12月7日〜9日の3日間で、一つの集会、一つの闘争に参加し、その間、高校や大学の同窓生やら、社会運動の友人、知人ら10人近くの人々に会いました。

 僕の学生運動の故郷、関西は、やはり、故郷で、優しさと潤いを持って、僕を包んで暮れました。

 費用がかかったとは言え、この3日は、非常に充実し、僕にとって、極めて意義ある小旅行であり、この経験も加えた、今年の僕の諸行動は、来年の行動のビジョンとそこでの日本民衆の闘いのうねり、胎動を予感させるに十分でした。

 早朝4時起床し、準備をし、午前五時の清瀬始発の電車に乗り、東京駅から「のぞみ」に乗り込みました。

 ただ、この日、被弾圧者で入獄中の「同志」の「よど号」戦士、田中義三氏の重病のニュースが入り、外での治療への支援を「緊急報告」することで、ほぼ、徹夜の情況で、出発前は大分ばたばたしていたことだけは確かです。

 ともあれ、これだと、10:00前には裁判所に着けるのです。

 10時、調度位に着きました。仲間達10数人が既に来ており、それから、40人近くになり、傍聴券をもらい、入廷しました。

 僕は、この裁判は、これで二度目です。

 東京の裁判所と違い、身体捜検、持ち物検査、金属探知機の透視カメラの検問はありませんでした。

 控訴審はこの日の被告人質問と判決言い渡しの2回のみ。判決日は、来年2月22日と決まりました。

 松岡裁判は警察権力(警察官が天下りしている)と癒着するパチスロ大手、「アルゼ」や「阪神タイガース」の腐敗した暗部を摘発した「紙の爆弾」(鹿砦社出版、社長・松岡利康)を「名誉毀損」として、松岡氏を不当逮捕・起訴、1審有罪となった事件です。

 氏へは、出版人としては、異例の長期拘留を課し、本年7月4日、神戸地裁で「懲役1年2ヶ月、執行猶予4年」の判決がなされました。

 これが、関西の「思想・信条の自由」「言論・表現・出版の自由」の拠点への大弾圧であることは明瞭です。

 僕は、この種の「思想・信条」「言論・表現」「政治活動」の自由を弾圧した、「東」「西」の横綱級の弾圧事件を知っています。

 「東」の横綱級が、僕も応援している、関東圏の法政大学学生運動家、6人への不当極まる退学・停学処分とこれへの反弾圧闘争です。

 鹿砦社弾圧は、正に、この「東」に匹敵する「西」の横綱級の「言論、表現の自由」弾圧事件と言えます。

 小泉政権、安倍政権は、「戦争が出来る国家体制作り」のために、自分たちに逆らう、突出した言論・出版人、社会運動家を、戦略的に定め、先の「自衛官宅チラシ・ポスティング事件」らのように、ピン・ポイント爆撃をやってきました。

 鹿砦社弾圧は、この「言論、出版の自由」弾圧の、その戦略的環であった訳です。

 剛の者、松岡は、この闘いに大義を感じ、投獄中、出獄後も不屈に、闘いを続け、この闘争は「支援する会」を中心に、全国、メディヤに広がりつつあります。

 既に、「鹿砦社裁判通信」は7号までや号外も出され、「紙の弾丸」は再刊され、その健在振りを9,10,11、12月号と示しています。

 この事件にまつわるものとして「タイガースの闇―ある名スカウト“自殺”の謎」(鹿砦社 渡辺直子 著)も急遽出版されました。

 この、通信、雑誌、書籍類は僕も、相当部数持っており、委託販売しますので、注文してください。

 さて、裁判は、「アルゼ」王国の「女帝、Oさん」についての記事が、取締役岡田の愛人関係を利用した「公私混同」の行動であったのか、「単なる名誉毀損」であったのか、或いは、「アルゼ」が「反社会的企業」なのか、否か、この二点に集中してゆきました。

 弁護人と左右の陪席判事が質問し、それに松岡が答えてゆく要領でした。

 Oさんが、この会社のれっきとした役員であり、愛人関係を利用し「女帝」として、社員に非合理、専制的に、君臨していた様が、松岡の、社員や関係者の多数の人への取材に基づく証言で明らかになり、どう見ても、公的糾弾に値することが明らかになりました。

 叉、「“反社会的企業”とは、どんな概念か?」に関して、「脱税、裏本、独禁法違反、スキャンダル流布、大阪松竹潰し、カジノライセンス云々」とか松岡は列挙していました。

 裁判終了後、東京から駆けつけた、メディヤでの言論、表現の自由の防衛、拡大で奔走するジャーナリストのK氏や関西の言論、出版関係の人々、関西の「反改憲、平和、反差別」で活躍する社会運動家や松岡の友人、家族、救援会を支える運動の核になってきた人々が、その後、弁護士会館で反省会を持ちました。

 神戸地裁とやや違った高裁の対応の意味、左右陪席の質問に見られた質問の意義や二人の人柄の分析、名誉毀損と言う法律条項のその出自からする曖昧性らが論点となり、「もう少し、具体的な例を挙げて、“反社会性”を指摘したら、もっと説得的であった」らの意見も出ました。

 松岡氏はマスコミの取材を受けていたようでした。

 ともあれ、松岡や参加した面々の意気は高く、それは赤地の白で染め抜いた「言論無罪!」の大赤旗が作られて来ており、この赤旗を前にして「無罪を勝ち取るまで闘うぞ!」と誓った事に象徴されていたと思います。

               塩見孝也